世の中には嘘かどうか追求すべき場面とそうではない場面がある。
たとえば遊ぶ予定を急にキャンセルされたとき、その理由が不自然に感じたとする。嘘なのかどうか確かめたくなるかもしれない。でもそれはいちいち追求すべきことなのだろうか?
生きていれば予測不可能なことは必ずおこる。昼間は元気だったけれど夜になって急に体調を崩したり、どうしても優先せざるを得ない急用が入ったり。そういう相手の状況を想像することもせず、「大丈夫?」と気遣うこともなく「本当に?」とまず疑うようなひととは、わたしなら縁を切る。そのひとにとっていちばん大事なのはじぶんが不利益を被るかどうか、ただそれだけだから。大体そこまで信用されていないのなら所詮その程度の関係ということ。さっさと縁を切るのが正解だ。
仮に理由が嘘だったとして、相手はそれを暴けば何かしら得るものがあると考えるひとなのだから尚更離れたほうが良い。嘘をついてまで会いたくない理由があるにも関わらず、しつこく追求してくる相手はまともではない。
相手はこう言ってくるかもしれない。
「嫌なところがあるなら正直に言ってほしい、直すから」
性格をいきなり変えることのできる人間はいない。そして根本的に合わない相手なら、嫌なところをひたすら挙げて全部直してもらったとしても、おそらく次から次へと直してほしいところが出てくる。チェックリストの項目をすべてクリアしたひと全員を好きになれるほど、人間の心は単純にはできていない。さらにそこで相手の要求どおり嫌なところを挙げれば、相手が努力したぶんは好きにならなければいけない空気になってしまう。嫌なところを挙げれば挙げるほど追い詰められるのはじぶん自身。一見すると誠実そうなこの台詞は、ときに恐ろしいほど暴力的なものになる。
「約束を正当な理由もなく反故にして良いはずがない」
これは正論に思えるので言われた側はダメージを受けるかもしれないが、これを言ってくる相手は危険だと思う。そういうひとは曖昧な感情なんてものは無視していいと思っていて、でも一方では罪悪感で相手にじぶんの要求をのませようとする。そのひとにとっては相手がじぶんと遊びたいと思っているかどうかは重要ではない。本心がどうであれ表面上仲良くしてくれればそれで良いと思っているのか、それとも「遊びたくない」という相手の感情をどうにかして変えてしまおうと思っているのか、そこはよくわからない。行動が理解不能すぎて何を考えているのか想像することすら困難だ。わかるのは相手の感情よりもじぶんの欲望のほうが大事だということだけ。その時点ですこしも大切にされていないことは明らかなので、わたしだったら迷わず離れる。
とにかく、「こういう理由で会えなくなった」と伝えたときに「本当に?」と訊いてくるひととは仲良くすべきではない。そのひとはあなたの事情や感情などは取るに足らないものだと認識している。なんでもまず疑ってかかる、関係のないことまでしつこく詮索してくる、そういう相手とは離れるべきだと思う。
これは個人だけではなく職場などの組織でも同じことだ。「今回は参加できない」「辞めたい」と伝えたときに上記のような反応をする組織は危ない。労働環境など改善の余地がある場合はべつだけれど、組織の雰囲気や人間関係はほとんどの場合どうにもならない。どうしても合わない、じぶんが大切にされていないと感じるなら離れたほうがいい。世の中にはしなくても良い苦労がきっとたくさんある。
今朝のツイートにあった、いきなり辞めてしまった新人さんの理由が本当か嘘かはわからない。でもそれはわたしたちには関係のないこと。辞めたいという意思があるなら理由は何でもいいし、それを素直に伝える必要もない。わたしたちもその理由が本当かどうか知る必要はないのだ。そういうことって世の中にはたくさんあると思う。
*バイト先はその新人さんに理由が本当かどうかをしつこく訊くことはなかっただろうと思います。辞めたあとでフロアのひとたちが「本当なのかな」と話していたので、それをわたしたちが知る必要はないのではないかと感じました。
*組織を離れる場合、ハラスメントなどが原因ならできれば辞めるときにはっきりと伝えたほうがいいし、いつもいつも嘘かどうか知る必要がないとは言い切れないのが難しいところではあると思います。ただ本人が言いたくないのならなるべくその気持ちを尊重したいというのが基本的な考えです。