2018/07/31

いつかやってみたいお店の話

美味しい紅茶を気軽にいただけるお店があったら良いなと思っていた。ホテルのアフタヌーンティのようにちょっと背伸びしておめかししていただく紅茶も大好きだけれど、そうではなくて、気負わずにふらっと入れる小さなお店。メニューはこんな感じで、内装はこうで、コンセプトは…。妄想を膨らませるうちに、じぶんでやれば良いのではという気がしてきた。"好き"だけをぎゅっと詰め込んだ、わたしのお店。

実現するかどうかは別として、妄想するのは自由だ。お店のコンセプトはまず紅茶をたのしむこと。紅茶は何種類も用意したい。ポットかティカップ1杯か選べるようにして、お気に入りの紅茶をたっぷり味わうもよし、いろいろな種類を少しずつ味わうもよし。好みや気分に合ったたのしみかたを提案したい。ロイヤルミルクティも何種類か用意しよう。ロイヤルミルクティの飲みくらべもたのしそうだけれど、すぐお腹がいっぱいになっちゃうかな。
食事はシンプルなスコーン1種類のみ。紅茶にいちばん合うと思うから。料理があまり得意でないのもあるけれど、食事メニューが何種類もあると迷ってしまうでしょ。あくまでメインは紅茶なので、主張しすぎず飽きのこないシンプルなスコーンが良いと思うのです。もちろん、コクのあるクロテッドクリームとつぶつぶで甘い自家製の苺ジャムをたっぷり添えて。
ティカップとお皿はブルーウィローのような、白地に青い模様が施された硬質陶器。複数人のお客さんには、スコーンを硝子のケーキスタンドで提供したら可愛いかも。

内装のコンセプトは木陰のような、ちょっと暗くて、静かで、木のぬくもりを感じる空間。疲れたときに行きたくなる、心が休まる場所。店内は窓から差し込む自然光にやさしく照らされて、白くてぼんやりとした明るさに包まれている。窓には歪みのある古い硝子をはめ込んで、白いアンティークレースのカーテンをかける。外には森のような青々とした景色が広がり、陽が傾くと木の影が店内に落ちる。床は古い板材で、壁は漆喰。どっしりとした木のテーブルはひと2人が向かい合って座るのにちょうど良い大きさで、繊細な刺繍の施された白いテーブルクロスに青いティカップが映える。席数は5つくらい。小さな音量でジャズピアノなんかを流しても良いかな、邪魔かな。

気が効くほうではないので、注文はすべてカウンターで承る。先にお代をいただいて、番号札を渡して席で待ってもらう。お冷はセルフサービス。接客に使うエネルギーは最小限に抑えつつ、また来たいと思ってもらえるように感じ良く、適切な距離感で接したい。あまり気を使うと疲れてしまうから、店員のわたしもお客さんもお互い気楽に振る舞える雰囲気をつくれたら良いな。

立地は住宅地か商店街のはずれが良いけれど、それだと店内から森のような景色はなかなか見られない。代々木公園とか井の頭公園のような木がたくさんある場所の近くにしようかな。とにかくあんまり人通りが多すぎない通りにする。


お客さんがゆっくり読書をしたり、友だちと静かに語り合ったり、紅茶の飲みくらべをしたり、思い思いの時間をのんびり過ごしてくれたら最高。そして、紅茶ってこんなに美味しいんだなって思われたい。紅茶の華やかな香りとスコーンの香ばしい香りに包まれて、じぶん好みのインテリアや食器にかこまれて、静かに働くなんて素晴らしいな。いつかそんな暮らしがしたい。




2018/07/06

死刑制度

死刑制度について考えた

加害者の死によってしか得られない平穏は確かにある。それは紛れもない事実だ。悪いのは加害者なのに、どうして被害者が怯えながら生活しなければいけないのか。加害者がいなくなればすべて解決なのに。ずっとそう思っていた。殺したいほど憎かった。


でも一方で、権力によって人殺しがなされることに恐怖を覚えた。例外的に一部だけ認める、なんてことはあり得ないのだ。権力は公正ではないから。なにが良くてなにが悪いのか、判断するのは人間だから。死刑制度を支持することは、戦争を支持することと同じなのかもしれない。

2018/07/05

オトナになんかならない

「怒るより許すこと、憎むより愛すこと、不満を言うより感謝すること」
捻くれているわたしはこういう言葉を見るたびに "なんのためにみずからすすんで感情を殺すのだろう?" と思う。いつもにこにこご機嫌で現状に満足していられたらしあわせだけれど、現実はそうはいかない。不公平で理不尽なことばかりの世界で、そのような姿勢が良い結果を生むとは思えない。
怒ること、憎むこと、不満を言うことは悪。嫌なことがあってもさらりとかわせるのがオトナ。こういう風潮で得をするのは加害者だということにいい加減気づいてよ。そういうのは他人の尊厳なんかどうでもよくて好き勝手やりたいひとたちが言い出したこと。だから従う必要なんかない。そんなやつらの言う "ひろい心" "寛容" なんかデタラメだ。
許せないなら許さなくていい。傷ついたら、嫌な思いをしたら、不満があったら、怒ろう。文句を言おう。その声は誰かを救う。オトナにならなきゃとじぶんの心を殺し沈黙を選んだ誰かを。
誰かが我慢して保たれる見せかけの平和に価値はない。声をあげることはみんなが息をしやすい世界をつくる第一歩。だから怒ること、文句を言うことはポジティブでクリエイティブなことだと思う。
ほんとうの "寛容" とは選択肢を増やすこと。他者を否定しないこと。わかりあえないまま共存すること。なんでも許せる "ひろい心" を強要することではない。
わたしはこれからも人権にうるさいひとでいたい。だからオトナになんかならない。

2017/10/27

爪切り

子ども用のはさみで切るには硬くなった爪を見て、「そろそろじぶんで切ったら?」と親に言われたのはいつだろう。最初のころは利き手である右手の爪がいつも不恰好になっていたのに、いつのまにか左手で上手に爪切りを扱えるようになった。いまでは特に意識することもなく左右の爪をおなじ長さに揃えることができる。じぶんの成長を感じた今日の爪切り。




2017/06/09

それが本当かどうかわからなくていいこともある





世の中には嘘かどうか追求すべき場面とそうではない場面がある。

たとえば遊ぶ予定を急にキャンセルされたとき、その理由が不自然に感じたとする。嘘なのかどうか確かめたくなるかもしれない。でもそれはいちいち追求すべきことなのだろうか?

生きていれば予測不可能なことは必ずおこる。昼間は元気だったけれど夜になって急に体調を崩したり、どうしても優先せざるを得ない急用が入ったり。そういう相手の状況を想像することもせず、「大丈夫?」と気遣うこともなく「本当に?」とまず疑うようなひととは、わたしなら縁を切る。そのひとにとっていちばん大事なのはじぶんが不利益を被るかどうか、ただそれだけだから。大体そこまで信用されていないのなら所詮その程度の関係ということ。さっさと縁を切るのが正解だ。

仮に理由が嘘だったとして、相手はそれを暴けば何かしら得るものがあると考えるひとなのだから尚更離れたほうが良い。嘘をついてまで会いたくない理由があるにも関わらず、しつこく追求してくる相手はまともではない。

相手はこう言ってくるかもしれない。

「嫌なところがあるなら正直に言ってほしい、直すから」
性格をいきなり変えることのできる人間はいない。そして根本的に合わない相手なら、嫌なところをひたすら挙げて全部直してもらったとしても、おそらく次から次へと直してほしいところが出てくる。チェックリストの項目をすべてクリアしたひと全員を好きになれるほど、人間の心は単純にはできていない。さらにそこで相手の要求どおり嫌なところを挙げれば、相手が努力したぶんは好きにならなければいけない空気になってしまう。嫌なところを挙げれば挙げるほど追い詰められるのはじぶん自身。一見すると誠実そうなこの台詞は、ときに恐ろしいほど暴力的なものになる。

「約束を正当な理由もなく反故にして良いはずがない」
これは正論に思えるので言われた側はダメージを受けるかもしれないが、これを言ってくる相手は危険だと思う。そういうひとは曖昧な感情なんてものは無視していいと思っていて、でも一方では罪悪感で相手にじぶんの要求をのませようとする。そのひとにとっては相手がじぶんと遊びたいと思っているかどうかは重要ではない。本心がどうであれ表面上仲良くしてくれればそれで良いと思っているのか、それとも「遊びたくない」という相手の感情をどうにかして変えてしまおうと思っているのか、そこはよくわからない。行動が理解不能すぎて何を考えているのか想像することすら困難だ。わかるのは相手の感情よりもじぶんの欲望のほうが大事だということだけ。その時点ですこしも大切にされていないことは明らかなので、わたしだったら迷わず離れる。

とにかく、「こういう理由で会えなくなった」と伝えたときに「本当に?」と訊いてくるひととは仲良くすべきではない。そのひとはあなたの事情や感情などは取るに足らないものだと認識している。なんでもまず疑ってかかる、関係のないことまでしつこく詮索してくる、そういう相手とは離れるべきだと思う。

これは個人だけではなく職場などの組織でも同じことだ。「今回は参加できない」「辞めたい」と伝えたときに上記のような反応をする組織は危ない。労働環境など改善の余地がある場合はべつだけれど、組織の雰囲気や人間関係はほとんどの場合どうにもならない。どうしても合わない、じぶんが大切にされていないと感じるなら離れたほうがいい。世の中にはしなくても良い苦労がきっとたくさんある。

今朝のツイートにあった、いきなり辞めてしまった新人さんの理由が本当か嘘かはわからない。でもそれはわたしたちには関係のないこと。辞めたいという意思があるなら理由は何でもいいし、それを素直に伝える必要もない。わたしたちもその理由が本当かどうか知る必要はないのだ。そういうことって世の中にはたくさんあると思う。


*バイト先はその新人さんに理由が本当かどうかをしつこく訊くことはなかっただろうと思います。辞めたあとでフロアのひとたちが「本当なのかな」と話していたので、それをわたしたちが知る必要はないのではないかと感じました。

*組織を離れる場合、ハラスメントなどが原因ならできれば辞めるときにはっきりと伝えたほうがいいし、いつもいつも嘘かどうか知る必要がないとは言い切れないのが難しいところではあると思います。ただ本人が言いたくないのならなるべくその気持ちを尊重したいというのが基本的な考えです。





2017/01/16

空を飛ぶ

空を飛ぶ夢を見た。

小さいころから空を飛ぶことに憧れていた。
幼稚園のときテレビで放送されたのを観て以来、ピーターパンにすっかり魅了されてしまった。フック船長の攻撃をひらりとかわし、空を自由自在に飛びまわるピーターパン。いちばん好きだったのは、物語の終盤、海賊船から落下するウェンディを空中でキャッチする場面。その格好良さといったら!何度もその場面を再現して遊んだ。お絵かき帳もピーターパンでいっぱい。ピーターパンのように空を飛べるようになりたかった。

そんなことばかり考えていたからか、小さいころから度々空を飛ぶ夢を見た。夢ではあるけれど、飛ぶのはたやすいことではない。なによりも難しいのは体を浮かすこと。うまく空気に乗らなければならないのだが、これが一度で成功したことはまだ無いと思う。どうにか体を浮かせたら、少しずつ上昇する。これまた思い通りにはいかなくて、高いところへ行きすぎたり、逆に低くしか飛べなかったり。方向転換もスピードの調整もとても難しくて、とにかく安定しないのでいつもひやひやしながら飛ぶ。空を飛ぶのは、バランスをとりつつ空中を潜水するような感覚だ。バランスを崩せば浮いていられず落ちてしまう。わたしは運動が苦手だから、空を飛ぶのも下手なのかもしれない。

いつも上手にいかないけれど、空を飛ぶことが好きだ。恐ろしいものが追ってきたって、飛んでしまえば怖くない。うまくいけば歩くよりも早く移動することだって可能だ。それに、街を見下ろすのはとても気分が良い。道も建物も飛び越えて、どこまでも自由に行ける。

夢があまりにもリアルな感覚なので、本当に飛べるのではという気がしてくる。実際に何度か試したが、やはり飛べなかった。現実世界で無理ならばせめて夢の中でと思うけれど、そんなにしょっちゅう空を飛ぶ夢を見るわけではない。とくに最近は全然見ていなかった。

しかし今朝見たのである。飛ぶ夢を!
飛んだのは数秒で、飛行を楽しむというところまではいかなかったけれど、それでもうれしかった。感覚がなまってしまう前に、また飛びたい。今度はもっと長く、遠くまで。


これは昔から気になっていることなのだけれど、ほかの人も空を飛ぶ夢を見ることがあるのだろうか。見るとしたら、空を飛ぶのはどのような感覚なのだろうか。わたしと同じように難しいのか、それともピーターパンのように軽々と飛べるのか。ちなみにわたしの場合、着地は簡単ですとんっと片足ずつ地面につくのだけれど、そのほかの方法はあるのだろうか。とても興味があるので、もしよかったら教えてください。

2016/12/03

アルバイト中に思うこと

海外から観光に来ている方は、レジでパスポートを提示すると5%割引になる。免税のサービスもある。

一応パンフレットなどでお知らせはしているけれど、サービスがあることを知らないお客様は多い。だからレジでご案内することがある。「パスポートはお持ちですか?」。他の人がどのように判断しているかはわからないけれど、わたしは外見、話し方、持ち物などから観光の方かな?と推測する。でも、海外からのお客様とそうでないお客様を見分けることはかなり難しい。

そもそも外見からその人の国籍や住んでいる国がわかるはずがない。話し方だって、流暢な日本語を話す観光客もいれば、日本に住んでいるけれど日本語が得意でない方もいる。お財布を出すとき鞄の中にパスポートを見つけることができれば、安心してご案内できるのだけれど。

パスポートを持っているか尋ねるときはとても慎重になる。間違えたらとても失礼だと思うから。実際に観光客ではない方に尋ねてしまったことが何度もある。逆に観光客ではないと思った相手が観光客だったということも多々あって、その場で気がついてお会計を立て直すことができたらまだ良いけれど、サービスについて伝えられないまま帰してしまうなんてこともあった。

ご案内するときもしなかったときも、これであっているのか?というもやもやは消えない。不快に感じなかったか?損をさせてはいないか?

一度クレームを受けたことがある。海外からのお客様で、免税ができることを知らなかった、レジの人も教えてくれなかったと。貴方はちゃんとご案内しているの?と尋ねられて、こう答えた。外国人で日本に住んでいる方もいらっしゃいます、こちらでもその判断は難しいのです。相手の方もそこは理解してくれた。それでももっとサービスについてわかりやすくお知らせしてほしいと言われた。わたしも同じ気持ちだ。こちらから割引や免税についてご案内をするのはハードルが高い。お店側がもう少し積極的に宣伝してくれたら、楽になるのに。

そんなことをぐるぐる考えつつレジを打つ。接客は難しい。でもいろいろな気づきがあって、おもしろくもある。世の中にはいろいろな人がいる。頭ではわかっているつもりだったけれど、アルバイトをしているとそれを肌で感じる。多様な人と生きていくのは難しいような気もするし、ひょっとしたら思いの外うまくいくものなのかもしれない。大切なのは型にはまらないこと、先入観を持たないこと。忘れてしまいがちだから気をつけよう。